「やあ!はじめまして」「君の瞳や、頬の線にどこか見覚えがあったから声かけたよ」
そんな事言えないよなあ。
道を歩いていたり、電車に乗っていたり、いろんなシーンで圧倒的な波動とかを感じて、想いがあふれそうなくらいお互いに引力を意識した時に、そう正直に言える世界があったら良いのにと、いつも思う。
好きな物には目印のタグが付いていて、「ほら、ここにあなたの未来を開くアイテムがあるよ!」って、呼んでる。
多分、僕版のティンカーベルは、肩の辺りで、ほらほら!って囁いていたに違いない。
たしかに君の声は聞いたんだけれど、思い切って一歩を踏み出す勇気がなかったんだよ。
バスを降りて少し歩いたら、ベルトにフックしていた鍵が落ちた。
ティンク。。。どうせなら、もう少し早く落としてくれないかなぁ。もし駅のホームで落としてくれたら、彼女が拾ってくれるって言うストーリーもあったかもしれないのに。
翌日、
時間もわからない。どこの誰なのかもわからない。
「毎日その時間の列車に乗るかどうかもわからない人と、絶妙のタイミングでもう一度出会うなんて、そう簡単な事ではないよ」
冷静な方のもう1人の僕は、一般論でそう言うけれど、想像力の方に重きを置いているもう1人の僕は、「そんなことはないって」「明日にだって、もう一度会えたりするよ」
「そんな事言って。。。今日も会えず、、来週も会えず、、」
「そのうちに、後悔するんだよ」
「あの時、何できっかけ作らなかったんだろう、、、って」
「前にも、同じ事あったじゃない」
冷静な方の僕は、いつだってほとんど分析を外さない。基本的に他人事なのだ。
「そうかなぁ、その推測自体がネックなんじゃないかなぁ」
「確かに前にも全く同じような事があったけど、そう思う事で可能性を減らしていたりしない?」
「だってさ、思った事が投影されるんでしょ? 現実世界に」
自分の中のご意見番にだって議論では負けたくない。
ふつうは、内なる声とか、ガイド役のエンティティーの方が、現実を超越した奇想天外な事を言ったりするけれど、僕たちの場合は逆の事が多い。
「なるほど、一応まだ冷静なんだね」
「おっしゃるとおり、不可能は無いよ」
「いつでも選択は可能だし」
あえて昨日と同じ時刻の電車に乗ったりせずに、普通のタイミングで歩いて、普通のタイミングの列車に乗った。
意識してタイミングを狙っても駄目な事は知っている。普通に耳をすませばいいだけだよね?そう思いながらも、同じ時刻の電車に乗らなかった事に後悔してたりする。
眠るか眠らないかの狭間で自分版のご意見番とディスカッションをしていたら、アナウンスを聞くかぎり、もう大船らしい。
いつもの事だけれど、とりあえず、寝たふりのまま薄目を開けて前方を観察。
まだギュウギュウに混んでるみたい。目の前は男性の様子。
右隣の体格の良いオジサンは、いつのまにかスリムな女性に変わったらしい。
「ねえ、あの幅広いブルガリっぽい指輪は昨日の指輪と似てるよね。最近流行ってるの?」「左手の薬指。結婚してるのかなぁ、、、」
「それともファッションリング?」
「それにしても似てるなあ」
「似てるもなにも、同じ物だよ」結構ブランドにも詳しい冷静な方の僕は、もうすこし議論したいのか、まだそこにいた。
「まだいたの?」
「そっか、同じブランドなんだね」
現実の僕の方は指輪なんてしないから良く知らない。
「いや、そういう事ではなくてさぁ」
「言ってる意味が分かってないようだけれど、、、」
「それに、、まだいたの?って失礼だなあ。。。」
「まあ、健闘を、、、」
殆ど目が覚めてきたから、ご意見番の最後の方の言葉は良く聞こえなかったけれど、状況は何となく理解しはじめている、、、
「まいったなぁ」「2日つづけて後悔する訳にもいかないよね。。。」
どうやら、重大な状況にあるらしい。
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妄想レベルで願っていた事が、自分でも予期しないタイミングで現実化してしまった瞬間は、意外にも逃げ出したい気分。
「あのさぁ、これはないんじゃないの?」
ご意見番である冷静な方の僕に声をかけてみたけれど、彼とディスカッションできるのは眠るか眠らないかの微妙な状態の時だけ。すでに立ち去った後なので、何も返答はない。
「同じ指輪だよなんて、そんな遠回しな言い方じゃなくてさぁ」「彼女は隣に座ってるよって、教えてくれれば良いのに、、、」
まあ、どの段階で教えられたとしても、いまの逃げ出したい気分には変わりはないのだけれど。
僕の右隣に座っていたのはずの体格のよいオジサンが、品川で降りて(いま乗ってるのが通勤快速なんだよね)よりによってその座席に、昨日の輪郭線の彼女が座るなんて、そんな都合の良いことが起こる訳ないし、もしかしたら僕はまだ眠っていて、妄想と混同してるのかもしれないなんて考えてみたけれど、どうも現実のようだ。
「さぁ どうする?」「大船は過ぎたし」「通勤快速なんだから、もう時間は残り少ないよ」
ご意見番はもういないのだけれど、たぶん彼は傍観者のシートに腰掛けてそう言っているに違いない。
「さっきの話なんだけどさぁ、、」「僕が本気で望めば、明日にでも会えるってのは」「いったん撤回するから、、、」「日をあらためない?」
「心の準備が、出来てないよ。。。」
昨日までの後悔はどこに行ってしまったんだろう?
前にも同じような事があって、その時の後悔を今でも引きずっているのに、これ以上近づけないようなラッキーな距離にいる彼女を、みすみす見送ってしまうって言うの?
疲れをしらない筈の僕の想像力は、こんな時に全く役に立たない。
「やあ!はじめまして」「君の瞳や、頬の線にどこか見覚えがあったから声かけたよ」
隣に座ってる見ず知らずの男から、そんな風に声をかけられて、彼女が微笑み返すとは到底思えないけれど、爽やかさに50点。
反対側の窓に映る彼女の瞳を見つめてきっかけを得るのは?残念な事にブラインドになってここからだと見えないし、きのうもそんな事してたね、まったく進歩なし。なので0点。
「突然で申し訳ないのですが」「もしよかったら、メル友からお願いできませんか?」「決してアヤシい者では、、、」
昨今のご時世で、そんな人間が信用できる訳はないよね。マイナス20点。
なんだかんだ言っても、これは立派なナンパなのだから、思い切ってデートに誘うって言うのは?そうだよ、気合いが大切だし、潔いほうが良いに決まってる。あたって砕けろだ!・・・・・・。これは僕のキャラではないな。。。。
ふぅ。
ほらほら、もう藤沢。辻堂は止まらないんだよ。
じゃあ、携帯にメッセージを打ち込んで、隣の彼女に直接見せるってのは?
うん、いいかもしれないけれど、間に合う?携帯で文面打つの超遅いぞ。
窓の外には見なれた風景が流れているけれど、こんなに追い立てられた感じに見えたことは無い。
「携帯にメッセージを打つ時間あるかなぁ?」さりげなく助けを求めてみたものの、当然ながらリアクション無し。ご意見番はこんな状況にやきもきしていないのだろうか。
反対側の窓に映る彼女の姿は見る事が出来ないけれど、どうやら眠ってはいないようだ。
今日は膝丈ぐらいの落ちついた色のワンピースで、TULLY’Sのような模様が素敵。手の甲や指の感じもいつまでも見ていたいぐらい愛らしいけれど、やっぱりあのボリュームのある指輪は、左手の薬指に収まっている。
たしかに昨日出会ったあの時間の中で、お互いに波動を感じたように思う。もしかしたら感じたのは僕だけなのかもしれないけれど、何かの動機やインスピレーションを感じたなら、それは僕版のティンクが背中を押しているのだ。
「けっこうグダグダな性格なんだね」「そんなに色々考えると身動き取れないよ(笑)」
「それに、未来はまだ確定していないんだ」「だから、君の望むストーリーは、どれでも選択できる」「いつも話してる事じゃない」
「うん、わかってるんだよ」驚いたことに傍観者席にいるはずの相棒が割り込んできた。冷静な方の僕と、完全に起きている時に話したのは初めてだ。やっぱり見ていられなくて出てきたらしい。
「たしかに実践するのは難しけどね。。」
辻堂駅を通過している。
「この胸がキューンとする感じを、超えないとね」
胸が締めつけられるようなプレッシャーに負けて、一歩を踏み出せなかった事が沢山ある。
あの時のあのハードルを、勇気をもって越えていたらどうなっていたんだろうと、何度も何度も考えた。
「もうそんなのはごめんだよ」
頭の中にある、いくつもの否定的で未確定のストーリーを、全部ゴミ箱に叩き込んで、彼女と会話を始めるための最初のフレーズだけを決めた。
いたって平凡で、陳腐かもしれないけれど、いつかこの瞬間の事を二人で思い出して、笑いあえるかもしれない。
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「どうして右手に時計してるんですか?」
「あっこれですか。よく友達にも言われます、変ですよね(笑)」
どうしてこんなセリフを選んだのかって言われそうだけれども、特に作戦があった訳ではなくて、結局のところ、優柔不断な頭の中でグルグル考えたあげく、とっさに素朴な疑問が口をついて出ただけで、それよりも何よりも驚きなのは、彼女がすでに知っている人との会話のように受け返してくれた事だ。
「そういうあなたも、右ですね(笑)」
彼女は茶目っ気のある笑顔でそう言うと、手に持っていた文庫本をバッグにしまって、ほんの少しだけれどこちら側に体勢を向けた、、、様に見えた。
それは、すごく些細な事なのだけれど、会話を続ける事に対して、動機と勇気をもらったというか、実際、すごくうれしかった。
「そうなんですよ、僕も腕時計は右にします。」「昨日、お隣にいる時に、時計右にしてるなぁと思って(笑)」
「あはっ(笑)昨日もお隣でしたよね」「さっき、ちょっとびっくりしました、すっごい偶然ってあるんだなあって」
こんな自然な会話ってあるんだろうか?何の壁も無く、とっても自然に話してる。。。それに、ちゃんと昨日隣にいた事を憶えてくれていたのだ。
それともこれは夢の続き?お得意の都合の良い自分版のイリュージョンってこともあり得るし、現実だとしても、こういう事にすごく慣れてる人なのかもしれないぞ?それはある意味怖いかも、、、
ネガティブとポジティブの可能性とセットで比較してしまうのは、冷静な方の僕とのディスカッションのし過ぎかもしれないなぁ。
しかしこれはれっきとした現実らしい。会話は続く。
「僕の方がびっくりしましたよ」「さっきまで体格の良いおじさんだったのに」「目が覚めたら、、ねぇ、、昨日の方だし(笑)」
もう辻堂を過ぎたようだね。さて、これからどうする?
たぶん、後3分も残り時間はないんだろうと思うと、心臓がグッと締め付けられる。
「で、何で右手に?」「左利きなのかなあ?」
「ううん、左利きではないですよ」「実は、前までは左にしてたんですけれど」「ある日、右にしたらどうなんだろう?って思って試してみたら」「それ以来、こっちの方がしっくりくるようになって」
そう言って彼女は右手の時計をクルクルと回しながら、僕の方を覗き込む。
「もしかしてB型とかAB型?」
こんなに早くから血液型の話題を持ち出すなんてセンス無し。間違いなく冷静な方の僕に後で指摘されるに決まってる。そう思いながらも会話は続く。
「AB型です(笑)」「苦手ですか?AB型(笑)」
そう言ってはいるものの、AB型を恥じている様子は無くて、むしろAB型であることを楽しんでいるような雰囲気。
「そんなことはなくて、どっちかって言うと興味津々かな?」「すくなくともAB型って聞いただけで引いたりしないですよ(笑)」「それに、AB型にヒドい目にあわされた事ないですから」
「あっ本当ですか? AB型っていうと引かれる事多いから」「ちょっと安心(笑)」
僕はこの数分間の、ほんの少しの会話の中で、どれだけ彼女を知った事だろう。
それは声のトーンかもしれないし、割とゆっくり話す抑揚のニュアンスかもしれない。
もしかしたら瞳の奥に広がる空間や、なつかしい頬の輪郭線かもしれないけれど、とにかく、僕は彼女の事を遠い未来の記憶の中で知っているのだ。
電車が減速をはじめて、到着する旨のアナウンスが流れる。もうすぐ茅ヶ崎駅に到着するようだ。