輪郭線と未来の記憶

「やあ!はじめまして」「君の瞳や、頬の線にどこか見覚えがあったから声かけたよ」

そんな事言えないよなあ。

道を歩いていたり、電車に乗っていたり、いろんなシーンで圧倒的な波動とかを感じて、想いがあふれそうなくらいお互いに引力を意識した時に、そう正直に言える世界があったら良いのにと、いつも思う。

好きな物には目印のタグが付いていて、「ほら、ここにあなたの未来を開くアイテムがあるよ!」って、呼んでる。

多分、僕版のティンカーベルは、肩の辺りで、ほらほら!って囁いていたに違いない。

たしかに君の声は聞いたんだけれど、思い切って一歩を踏み出す勇気がなかったんだよ。

バスを降りて少し歩いたら、ベルトにフックしていた鍵が落ちた。

ティンク。。。どうせなら、もう少し早く落としてくれないかなぁ。もし駅のホームで落としてくれたら、彼女が拾ってくれるって言うストーリーもあったかもしれないのに。

翌日、

時間もわからない。どこの誰なのかもわからない。

「毎日その時間の列車に乗るかどうかもわからない人と、絶妙のタイミングでもう一度出会うなんて、そう簡単な事ではないよ」

冷静な方のもう1人の僕は、一般論でそう言うけれど、想像力の方に重きを置いているもう1人の僕は、「そんなことはないって」「明日にだって、もう一度会えたりするよ」

「そんな事言って。。。今日も会えず、、来週も会えず、、」
「そのうちに、後悔するんだよ」
「あの時、何できっかけ作らなかったんだろう、、、って」
「前にも、同じ事あったじゃない」

冷静な方の僕は、いつだってほとんど分析を外さない。基本的に他人事なのだ。

「そうかなぁ、その推測自体がネックなんじゃないかなぁ」
「確かに前にも全く同じような事があったけど、そう思う事で可能性を減らしていたりしない?」
「だってさ、思った事が投影されるんでしょ? 現実世界に」

自分の中のご意見番にだって議論では負けたくない。

ふつうは、内なる声とか、ガイド役のエンティティーの方が、現実を超越した奇想天外な事を言ったりするけれど、僕たちの場合は逆の事が多い。

「なるほど、一応まだ冷静なんだね」
「おっしゃるとおり、不可能は無いよ」
「いつでも選択は可能だし」

あえて昨日と同じ時刻の電車に乗ったりせずに、普通のタイミングで歩いて、普通のタイミングの列車に乗った。

意識してタイミングを狙っても駄目な事は知っている。普通に耳をすませばいいだけだよね?そう思いながらも、同じ時刻の電車に乗らなかった事に後悔してたりする。

眠るか眠らないかの狭間で自分版のご意見番とディスカッションをしていたら、アナウンスを聞くかぎり、もう大船らしい。

いつもの事だけれど、とりあえず、寝たふりのまま薄目を開けて前方を観察。

まだギュウギュウに混んでるみたい。目の前は男性の様子。

右隣の体格の良いオジサンは、いつのまにかスリムな女性に変わったらしい。

「ねえ、あの幅広いブルガリっぽい指輪は昨日の指輪と似てるよね。最近流行ってるの?」「左手の薬指。結婚してるのかなぁ、、、」
「それともファッションリング?」
「それにしても似てるなあ」

「似てるもなにも、同じ物だよ」結構ブランドにも詳しい冷静な方の僕は、もうすこし議論したいのか、まだそこにいた。

「まだいたの?」
「そっか、同じブランドなんだね」
現実の僕の方は指輪なんてしないから良く知らない。

「いや、そういう事ではなくてさぁ」
「言ってる意味が分かってないようだけれど、、、」
「それに、、まだいたの?って失礼だなあ。。。」
「まあ、健闘を、、、」

殆ど目が覚めてきたから、ご意見番の最後の方の言葉は良く聞こえなかったけれど、状況は何となく理解しはじめている、、、

「まいったなぁ」「2日つづけて後悔する訳にもいかないよね。。。」

どうやら、重大な状況にあるらしい。

 

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妄想レベルで願っていた事が、自分でも予期しないタイミングで現実化してしまった瞬間は、意外にも逃げ出したい気分。

「あのさぁ、これはないんじゃないの?」

ご意見番である冷静な方の僕に声をかけてみたけれど、彼とディスカッションできるのは眠るか眠らないかの微妙な状態の時だけ。すでに立ち去った後なので、何も返答はない。

「同じ指輪だよなんて、そんな遠回しな言い方じゃなくてさぁ」「彼女は隣に座ってるよって、教えてくれれば良いのに、、、」

まあ、どの段階で教えられたとしても、いまの逃げ出したい気分には変わりはないのだけれど。

僕の右隣に座っていたのはずの体格のよいオジサンが、品川で降りて(いま乗ってるのが通勤快速なんだよね)よりによってその座席に、昨日の輪郭線の彼女が座るなんて、そんな都合の良いことが起こる訳ないし、もしかしたら僕はまだ眠っていて、妄想と混同してるのかもしれないなんて考えてみたけれど、どうも現実のようだ。

「さぁ どうする?」「大船は過ぎたし」「通勤快速なんだから、もう時間は残り少ないよ」

ご意見番はもういないのだけれど、たぶん彼は傍観者のシートに腰掛けてそう言っているに違いない。

「さっきの話なんだけどさぁ、、」「僕が本気で望めば、明日にでも会えるってのは」「いったん撤回するから、、、」「日をあらためない?」

「心の準備が、出来てないよ。。。」

昨日までの後悔はどこに行ってしまったんだろう?

前にも同じような事があって、その時の後悔を今でも引きずっているのに、これ以上近づけないようなラッキーな距離にいる彼女を、みすみす見送ってしまうって言うの?

疲れをしらない筈の僕の想像力は、こんな時に全く役に立たない。

「やあ!はじめまして」「君の瞳や、頬の線にどこか見覚えがあったから声かけたよ」

隣に座ってる見ず知らずの男から、そんな風に声をかけられて、彼女が微笑み返すとは到底思えないけれど、爽やかさに50点。

反対側の窓に映る彼女の瞳を見つめてきっかけを得るのは?残念な事にブラインドになってここからだと見えないし、きのうもそんな事してたね、まったく進歩なし。なので0点。

「突然で申し訳ないのですが」「もしよかったら、メル友からお願いできませんか?」「決してアヤシい者では、、、」

昨今のご時世で、そんな人間が信用できる訳はないよね。マイナス20点。

なんだかんだ言っても、これは立派なナンパなのだから、思い切ってデートに誘うって言うのは?そうだよ、気合いが大切だし、潔いほうが良いに決まってる。あたって砕けろだ!・・・・・・。これは僕のキャラではないな。。。。

ふぅ。

ほらほら、もう藤沢。辻堂は止まらないんだよ。

じゃあ、携帯にメッセージを打ち込んで、隣の彼女に直接見せるってのは?

うん、いいかもしれないけれど、間に合う?携帯で文面打つの超遅いぞ。

窓の外には見なれた風景が流れているけれど、こんなに追い立てられた感じに見えたことは無い。

「携帯にメッセージを打つ時間あるかなぁ?」さりげなく助けを求めてみたものの、当然ながらリアクション無し。ご意見番はこんな状況にやきもきしていないのだろうか。

反対側の窓に映る彼女の姿は見る事が出来ないけれど、どうやら眠ってはいないようだ。

今日は膝丈ぐらいの落ちついた色のワンピースで、TULLY’Sのような模様が素敵。手の甲や指の感じもいつまでも見ていたいぐらい愛らしいけれど、やっぱりあのボリュームのある指輪は、左手の薬指に収まっている。

たしかに昨日出会ったあの時間の中で、お互いに波動を感じたように思う。もしかしたら感じたのは僕だけなのかもしれないけれど、何かの動機やインスピレーションを感じたなら、それは僕版のティンクが背中を押しているのだ。

「けっこうグダグダな性格なんだね」「そんなに色々考えると身動き取れないよ(笑)」

「それに、未来はまだ確定していないんだ」「だから、君の望むストーリーは、どれでも選択できる」「いつも話してる事じゃない」

「うん、わかってるんだよ」驚いたことに傍観者席にいるはずの相棒が割り込んできた。冷静な方の僕と、完全に起きている時に話したのは初めてだ。やっぱり見ていられなくて出てきたらしい。

「たしかに実践するのは難しけどね。。」

辻堂駅を通過している。

「この胸がキューンとする感じを、超えないとね」

胸が締めつけられるようなプレッシャーに負けて、一歩を踏み出せなかった事が沢山ある。

あの時のあのハードルを、勇気をもって越えていたらどうなっていたんだろうと、何度も何度も考えた。

「もうそんなのはごめんだよ」

頭の中にある、いくつもの否定的で未確定のストーリーを、全部ゴミ箱に叩き込んで、彼女と会話を始めるための最初のフレーズだけを決めた。

いたって平凡で、陳腐かもしれないけれど、いつかこの瞬間の事を二人で思い出して、笑いあえるかもしれない。

 

 

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「どうして右手に時計してるんですか?」

「あっこれですか。よく友達にも言われます、変ですよね(笑)」

どうしてこんなセリフを選んだのかって言われそうだけれども、特に作戦があった訳ではなくて、結局のところ、優柔不断な頭の中でグルグル考えたあげく、とっさに素朴な疑問が口をついて出ただけで、それよりも何よりも驚きなのは、彼女がすでに知っている人との会話のように受け返してくれた事だ。

「そういうあなたも、右ですね(笑)」

彼女は茶目っ気のある笑顔でそう言うと、手に持っていた文庫本をバッグにしまって、ほんの少しだけれどこちら側に体勢を向けた、、、様に見えた。

それは、すごく些細な事なのだけれど、会話を続ける事に対して、動機と勇気をもらったというか、実際、すごくうれしかった。

「そうなんですよ、僕も腕時計は右にします。」「昨日、お隣にいる時に、時計右にしてるなぁと思って(笑)」

「あはっ(笑)昨日もお隣でしたよね」「さっき、ちょっとびっくりしました、すっごい偶然ってあるんだなあって」

こんな自然な会話ってあるんだろうか?何の壁も無く、とっても自然に話してる。。。それに、ちゃんと昨日隣にいた事を憶えてくれていたのだ。

それともこれは夢の続き?お得意の都合の良い自分版のイリュージョンってこともあり得るし、現実だとしても、こういう事にすごく慣れてる人なのかもしれないぞ?それはある意味怖いかも、、、

ネガティブとポジティブの可能性とセットで比較してしまうのは、冷静な方の僕とのディスカッションのし過ぎかもしれないなぁ。

しかしこれはれっきとした現実らしい。会話は続く。

「僕の方がびっくりしましたよ」「さっきまで体格の良いおじさんだったのに」「目が覚めたら、、ねぇ、、昨日の方だし(笑)」

もう辻堂を過ぎたようだね。さて、これからどうする?

たぶん、後3分も残り時間はないんだろうと思うと、心臓がグッと締め付けられる。

「で、何で右手に?」「左利きなのかなあ?」

「ううん、左利きではないですよ」「実は、前までは左にしてたんですけれど」「ある日、右にしたらどうなんだろう?って思って試してみたら」「それ以来、こっちの方がしっくりくるようになって」

そう言って彼女は右手の時計をクルクルと回しながら、僕の方を覗き込む。

「もしかしてB型とかAB型?」

こんなに早くから血液型の話題を持ち出すなんてセンス無し。間違いなく冷静な方の僕に後で指摘されるに決まってる。そう思いながらも会話は続く。

「AB型です(笑)」「苦手ですか?AB型(笑)」

そう言ってはいるものの、AB型を恥じている様子は無くて、むしろAB型であることを楽しんでいるような雰囲気。

「そんなことはなくて、どっちかって言うと興味津々かな?」「すくなくともAB型って聞いただけで引いたりしないですよ(笑)」「それに、AB型にヒドい目にあわされた事ないですから」

「あっ本当ですか? AB型っていうと引かれる事多いから」「ちょっと安心(笑)」

僕はこの数分間の、ほんの少しの会話の中で、どれだけ彼女を知った事だろう。

それは声のトーンかもしれないし、割とゆっくり話す抑揚のニュアンスかもしれない。

もしかしたら瞳の奥に広がる空間や、なつかしい頬の輪郭線かもしれないけれど、とにかく、僕は彼女の事を遠い未来の記憶の中で知っているのだ。

電車が減速をはじめて、到着する旨のアナウンスが流れる。もうすぐ茅ヶ崎駅に到着するようだ。

よーあん的哲学

時計の針が急に早く進んだり(昔ユリゲラーがやってましたね)、 

自分以外の世界が、もの凄く早く過ぎたりするのを、 物理体験した事のある人はまずいないはず。

時間は刻々とカウントしていく物だけれども、

今となっては、地球人のお約束としてセシウム133の原子時計をマスターにして

時間の管理をしてる。

元をたどれば、

太陽時と地球の自転周期考慮して1日と定義して、

それをエジプト人が24分割。

その後、60進法を持っていたバビロニア人(メソポアミア、シュメール文明ね)が

1時間を60分割して(prime minute)、それをさらに60分割(second minute)して、

めでたく1日は平均864000秒に。

その時の名残として、分はミニッツに、秒はsecondに。

そう分割したおかげでバビロニアの時代からは、

とっても1日の時間割が分かりやすくなった。

なんでシュメールやバビロニアが60進法を使いだしたのか不明だけれど、

wikiによると、2, 3, 4, 5, 6 の公倍数であるのと、

割り算しやすいという特性かららしい。。。(たしかに乗除しやすいね)

誰かさんのだいすきなBeerもシュメール文明の発明なので、

時間を気にしつつ、ビアガーデンで生ビールを飲むならば、

シュメール文明に敬意を払いましょう。

ところで時間の観念の色々を、考えてみるととっても面白い。

たいていの人のアンケートでは、空想上の願望として以外は、

時間は揺るぎない物、変えられない物だと答える。

そう、自分の自由では動かせない定義。

それも定義の中では最もお固い部類。

当然、過去に戻れないし、未来にも行けない。

死の恐怖だって時間との問題で、

紙の上の理論上のタイムトラベル以外では、

時間の回避は現状無理なのだ。

それなのに1年はあっという間とか、時の過ぎるのはとても早いとか言ってみたりする。

タイムトラベルが出て来たので、ちょっと難しいことを言うけれど、

本来、時間と座標はセットなので、

どちらかでも欠けると決定することができない。

座標を同じままで、時間の再設定ができれば、

違う時代にポン!と現れる。

時間を変えずに、座標を再設定できれば、

同じ時刻に違う場所にポン!っと現れて、最初の場所からいなくなる。

ところで、1秒に付き歩幅50センチで足を動かせば1分後に30m動く。

これが歩くという事。

そして、秒間24枚のセル画をパラパラ見ればアニメーションになる、

これが仮現運動(運動視)だ。

冗談はさておき、、、

要は、ある座標に動かないで立っていた時の時間は確定できる。

また、ある時間を言う時には、

座標が確定していないと決定できないということ。

まだ難しいので、

Aさんが彼氏とのランチの約束で今立っている銀座A hillの座標で、

西暦2011年4月5日 約12時30分。

彼氏のBさんは、人間の乗り物で30分以内にA hillの座標に到着できる位置、

すなわち西暦2011年4月5日12時00分くらいの領域に存在しなければ彼女を待たせることになる。

※ちなみにA hilはフォアグラ入りハンバーグとカレーが美味しいお店。

全く普通の会話で、普通のデートの風景だけれど、

時間には座標が付いて回るという事をどうしてもいいたい。

みんな無意識に時間の事を考えるけれど、

常に座標は付いて回る。

というより、前にも言ったように時間と座標は一心同体。

なので、時間の共有、同時刻に同座標にいるという事は、もの凄い事。

いつも一緒にいるなんて、本当に凄い事。

(なので、デートの時間は大事にしましょう)

くりかえしだけれど、座標が決まれば、その瞬間の時間が決まる。

例外無く。(座標が無いなんて事は無いんだけれどね)

その瞬間の時間を調べたければ、同時に座標を言わないといけない。

(暗黙にね)

同時刻に離れた座標に同時に存在することもできないし、

ある座標にいるのに、2つの時間を同時に生きることもできない。

ちなみに、Unidentified Flying Object でおなじみのUFOは、

何億光年も飛んでくる訳ではなくて、

同時刻に座標を再設定するだけだそうです。

要は、座標という世界から隔離した【ある特異な次元】にいったん置いて、

行きたい場所の座標をセットするだけ。

言うだけならウルトラ簡単な作業だけれど、

そのうちに方法が明らかになると思う。

話は戻って、、、

地球科学の発達は距離の短縮と行っても過言ではなくて、

人類は距離を縮めるための膨大な努力をして来た。

航空機や新幹線や、車。

からだを持っていかなくても良い、通信技術、インターネット。

これだって距離を縮める事になる。

時間は淡々と加算されるものだから(と信じて疑わないだけ)

距離を縮める事で、時間を節約できる。

座標間を高速移動できれば便利だしね。

技術が進歩して座標間の距離が柔軟になっても、

座標と時刻のどちらかに矛盾が出ると、上司に対する言い訳がばれるし、

奥さんに浮気がばれたりする。

もちろん悪い事した場合のアリバイも崩れる。

ところで、夢の中では、色々なところに行ったり、

あるとき、自分の部屋の隣にがパリだったり、

かと思えば、その隣が急に東京の会社だったり。

時間もどのくらい経っているのか良くわからない。

現実が幻影で、イマジネーションが本来の物理次元の姿だと考えても良いし、

夢は体験記憶を引き出しにしまう生理現象の産物という考え方もある。

夢の中では、時間と座標の法則が緩やかだから、

目覚める一瞬前の5秒間に2週間の長編を体験しても良いし、

隣の部屋がNYになったり、他の星になっても構わない。

もちろん、僕のためだけに北川景子がキッチンで夕食を作っていても

何ら問題ない。

それにしても何故夢の中でさえ、重力やら慣性やら、

時間の感覚、女性の好みが一緒なのかというと、

基本的に見た事のないものは見えないし、

固く信じている観念は夢の世界へも、そのまんま継承しちゃう。

見た事のないものを見る方法は別に用意されていて、

それは地球というフィールドで、

集中して頭からひねり出すという手法。

中年以上になってくると(さいきんは小学生も言うかな)

1年が過ぎるのが早くなった、、、とか言うけれど、

実際、そんなことは起きていません。

歳をとって相対的に感じることはあるでしょうが。

そういう場合は、心理カウンセリングで何に恐怖を持っているのか、

突き止めて理解すれば、時間の流れは正常になります。

(というか常に相対的です)

また、新しい楽器とか、かなり負荷のかかる趣味にチャレンジしたら、

そんな言葉口にしなくなって、

逆に時間が足りないと言い出すのだと思う。

もちろんあっという間に1年が過ぎるのは同じかもしれないけれど、

後悔の念が入っていない【1年過ぎるのが早かった】になる。

昼と夜、体内時計、お腹が空くとか、

そういう事の経過感覚以外の【時間】は人間が作り出したツール。

ツールは圧倒的に便利だけれど、退屈すると時間が長く感じられて、

長く感じた分、細胞の老化は進んでしまう。

好きな女の子と話している時、好きな事をしている時、

時間は圧倒的に短く感じられて、

短く感じた分(実際は2時間なのに、5分に感じた!)

その感覚の経過でしか細胞は老化しない。

とっても簡単な相対性理論。

きっとみんな分かってるはずなのに、

我慢して老化して、その余白で、すこしの趣味を見つけてリフレッシュ。

それじゃあ、差し引き追いつかないよね。

と、いろいろ時間とモノの考え方についてあれやこれやを書いたけれど、

意固地で頑固で物理次元の時系列こそが、ある意味人生なんだよね。

感情は時系列で体験を加えていかないと、存在しないもの。

小説を読む時に苛つく前半あってこそ、後半の展開に胸躍るのだし。

でもでも、【時系列】の良さと【時間は幻影】の両方知っていると、

たいがいの事には驚かなくなる。

それに、、世界は何倍にも楽しく見えたりするし。

感情はEmotionと書く。

Energy-Motionというのが語源だと聞いた事があるけれど、

Motion(動く)となれば、物理次元のお約束w。

感情の出現理由を理解して受け入れられないと、

物理次元でのエナジーに押しつぶされる事になる。

まあ、それもレッスンだけれど。

未来が来ないようにする選択

何かを実現しようとするとき、その事に夢中になって、寝ても覚めてもその事を考えて、ワクワクの波動の中に浸り続ける事で、この物理次元の最大限のエネルギーを使って実現することができるというロジックがある。

これは精神論というか、宗教っぽいポジティブな言い方だけれど、少しネガティブにいうならば、それが実現しないと生きていけない体に自ら「仕向ける」事で叶えるというロジック。

このロジックは、僕たちの知る物理次元、宇宙の真理なので、良いも悪いもプラスもマイナスもなくて、フォーカスが強く、より精細であれば実現する。

「未来が来ないようにするという選択」に囚われてしまった時、愛も才能もお金も「なんの意味もない」と感じる。

素晴らしい才能、愛する人々、大量の資産や沢山のお金、愛犬が無条件で向けてくる眼差し、素晴らしい自然の風景、何を持ち出してきても何の役にも立たない。

普段なら、生きていく上で力となるものが意味をなさない状況下、「何か」から逃れるために「最悪のストーリー」にフォーカスするならば、人はそれを全力で実現してしまう。

ロジックは唯一のものなので、インプットするモノがなんだろうと分け隔てなく現実化する。例外なく。
だから、注意が必要だ。

なので、「このアイデアが最善だ」と思い込むことは諸刃の剣で、
それが、そもそも勘違いの可能性があるという事を、もう一つの側面として常に意識することがとても重要なのだ。

ジャンゴ・ラインハルトに由来するカクテルを

Django(別名:Rabo5)

ジャンゴラインハルトに由来するカクテルを作りたい。

ジャンゴの哲学を内包しているメランコリックなカクテルを作るとしたら、ベースとなるお酒は何がベストなのか考えると、
間違いなくジンではない。
もちろんウォッカでもない。
ホワイトラム?いや違う。
ダークラム?南国の湿度は違う気がする。
テキーラは? ロマの雰囲気はあるけれど、地理的に違いすぎる。

 

スコッチやシングルモルトでは紳士的すぎるし、長期熟成されたものならばロマンチックではあるけれど、メランコリックではない。

 

ではブランデー?
メランコリックかもしれないけれど、高貴すぎる。

 

粕取りブランデーのマールは?
一度経験したら忘れられない風味はどこか懐かしくて、掠れた感じもあってメランコリック。
ヨーロッパジプシーのテリトリーであるイタリアから、南フランスに一致するし、ワインの残り粕から作る焼酎的なブランデーであるマールは、ロマの雰囲気にも合致する。

 

強烈に香る風味と、個性は、唯一無二のマヌーシュ・スイングに通ずるものがあるし、粗雑なのにエレガントで、メランコリック。

 

なので、ベースは「マール」、

 

圧倒的風味とまろやかさを持っていて、手に入れやすい、ルイラトゥール社のマール・ド・コルトングランシーを。

 

 

合わせる果物は何が良いのか。

 

レモンもライムも違う。
やってみるとわかるけれど、キュラソーを合わせてシェイクしても、奇妙なサイドカーになるだけで、オリジナリティーがない。

 

ブランデーにグレープフルーツは合わないし、気をてらった果物も違う感じがする。

 

普通にオレンジはどうか?
オレンジの原産地は北インドのアッサム地方で、ロマの元となる北インドのロマニ系と同じ地域なので理屈は合う。
マールとの相性は抜群で、ワインというかブドウ自体の個性を凝縮したマールの風味を、生の果実に戻す様な雰囲気があって、例えるならば液体のレーズンの様な感じになる。

 

懐かしい感じだし、メランコリックだ。

 

合わせる果物は、オレンジ。

 

 

 

様々な民族、土地、音楽性を考えると、グラスの中でビルドするのではなく、
ステアでもなく、強く「シェイク」したい。

 

マールとオレンジをいろいろな比率でシェイクしてみると、何か少し足りない。

 

足すとしたら、何か異質で、切れ味とか、汚しを入れるものが良い。

 

すでに個性的なミックスに、下手な個性を合わせるのはマズいし、甘みや風味はもういらない。

 

ビター? 皮のピール?

 

甘くなくて、ビターで、透明か暖色系のもの。

 

カンパリビターだ。

 

ロマと関係の深いイタリアのリキュールでイタリア語で「苦い」は「アマーロ」。
どこかロマに似ている。
原料もビターオレンジで、相性は良い。

 

1tsp加えてシェイクスしてみると、何よりエッヂが立って、より切れ味がよくなる。

 

なので、スパイスとして、カンパリを1tsp。

意味の中立性を保つという事

最初に言っておかないと、猛烈に勘違い、色メガネで見られるので、

基本、無宗教ですし、組織的な団体にも属さないし、オカルト好きでもありません。

さて、

ダリルがチャネルするバシャールは、

宇宙にはシンプルな法則がひとつしか無いと言いました。

「あなたの与えるものが、あなたに帰って来るもの」

ものごとの真理は大抵シンプルなものだけれど、

バシャールの言う「あなたの与えるものが、あなたに帰って来るもの」という法則は、

言い回しとして、理解しずらい物がある。

これに出会ったのは25年ぐらい前で、

最初の1年ぐらいは「隣人にパンを与えると、あとで良い事が自分に帰って来る」的な、

とても宗教じみた意味にしか読めなかったのだけれど、

ある時、「与えるもの」が「意味」をさしている事に気がつく。

「あなたの与える意味が、あなたに帰って来るもの」

噛み砕いて言えば、

あるシチュエーションに「意味」を与えると、現実が帰って来る。

最初、シチュエーションは常に中立で、特定の意味を持たないのだけれど、

一般的な常識や、こうであるべきでないとか、苦手とか得意とか、

逆に、好む観念や、様々な嗜好や嫌悪感などによって、

悪いとか、良いとか、どうでも良いとか、最悪だとか、許せないとか、

最高だとか、さまざまな意味を与える。

これは個人が持つ観念によって「与える意味が」様々だと言う事だ。

とうぜん、与えた意味によって、

良い気分や、最悪の気分、現状に対する判断や、その次の行動、

しいては、大きな分岐点となる。

大きな意味でも小さな意味でも、

「与える意味」で、受け取る感情や、次の時間帯、次の時代を選択する事になる。

そして、受け取るものも大きく変わって来る。

問題は、普通の人間は与える意味に関して、特に注意を払っていないということ。

次の時間帯に、より良いエネルギーを受け取ろうと考えて、

意味を与える事などしていない。

判断は固定観念が瞬時にしてしまうし、

即座に感情が爆発する。

それが冷静な判断かどうかは、少し経ってから思う事。

大抵は「普通はこう考えるはず」という固定観念が自動的に意味を与える。

人間万事塞翁が馬

という、ことわざがあるように、

ものごとの判断は、後になってみなければ分からないもの。

意味を与える瞬間に、両極端な意味を想定して、

厄介な固定観念や、ネガティブ傾向に偏向されないようにする事で、

とても良い物を受け取る事も出来るのだ。

いわゆる「ポジティブシンキング」に近い物なのだけれど、

元来「中立」「ニュートラル」だと言う事が分かっていれば良くて、

あえてポジティブに考えるのは余計だ。

なので明るくポジティブに意味付けしよう!という、

ポジティブシンキングは、この世界を半分しか扱ってないと思うので、方便だと思う。