自分以外の世界が、もの凄く早く過ぎたりするのを、 物理体験した事のある人はまずいないはず。
時間は刻々とカウントしていく物だけれども、
今となっては、地球人のお約束としてセシウム133の原子時計をマスターにして
時間の管理をしてる。
元をたどれば、
太陽時と地球の自転周期考慮して1日と定義して、
それをエジプト人が24分割。
その後、60進法を持っていたバビロニア人(メソポアミア、シュメール文明ね)が
1時間を60分割して(prime minute)、それをさらに60分割(second minute)して、
めでたく1日は平均864000秒に。
その時の名残として、分はミニッツに、秒はsecondに。
そう分割したおかげでバビロニアの時代からは、
とっても1日の時間割が分かりやすくなった。
なんでシュメールやバビロニアが60進法を使いだしたのか不明だけれど、
wikiによると、2, 3, 4, 5, 6 の公倍数であるのと、
割り算しやすいという特性かららしい。。。(たしかに乗除しやすいね)
誰かさんのだいすきなBeerもシュメール文明の発明なので、
時間を気にしつつ、ビアガーデンで生ビールを飲むならば、
シュメール文明に敬意を払いましょう。
ところで時間の観念の色々を、考えてみるととっても面白い。
たいていの人のアンケートでは、空想上の願望として以外は、
時間は揺るぎない物、変えられない物だと答える。
そう、自分の自由では動かせない定義。
それも定義の中では最もお固い部類。
当然、過去に戻れないし、未来にも行けない。
死の恐怖だって時間との問題で、
紙の上の理論上のタイムトラベル以外では、
時間の回避は現状無理なのだ。
それなのに1年はあっという間とか、時の過ぎるのはとても早いとか言ってみたりする。
タイムトラベルが出て来たので、ちょっと難しいことを言うけれど、
本来、時間と座標はセットなので、
どちらかでも欠けると決定することができない。
座標を同じままで、時間の再設定ができれば、
違う時代にポン!と現れる。
時間を変えずに、座標を再設定できれば、
同じ時刻に違う場所にポン!っと現れて、最初の場所からいなくなる。
ところで、1秒に付き歩幅50センチで足を動かせば1分後に30m動く。
これが歩くという事。
そして、秒間24枚のセル画をパラパラ見ればアニメーションになる、
これが仮現運動(運動視)だ。
冗談はさておき、、、
要は、ある座標に動かないで立っていた時の時間は確定できる。
また、ある時間を言う時には、
座標が確定していないと決定できないということ。
まだ難しいので、
Aさんが彼氏とのランチの約束で今立っている銀座A hillの座標で、
西暦2011年4月5日 約12時30分。
彼氏のBさんは、人間の乗り物で30分以内にA hillの座標に到着できる位置、
すなわち西暦2011年4月5日12時00分くらいの領域に存在しなければ彼女を待たせることになる。
※ちなみにA hilはフォアグラ入りハンバーグとカレーが美味しいお店。
全く普通の会話で、普通のデートの風景だけれど、
時間には座標が付いて回るという事をどうしてもいいたい。
みんな無意識に時間の事を考えるけれど、
常に座標は付いて回る。
というより、前にも言ったように時間と座標は一心同体。
なので、時間の共有、同時刻に同座標にいるという事は、もの凄い事。
いつも一緒にいるなんて、本当に凄い事。
(なので、デートの時間は大事にしましょう)
くりかえしだけれど、座標が決まれば、その瞬間の時間が決まる。
例外無く。(座標が無いなんて事は無いんだけれどね)
その瞬間の時間を調べたければ、同時に座標を言わないといけない。
(暗黙にね)
同時刻に離れた座標に同時に存在することもできないし、
ある座標にいるのに、2つの時間を同時に生きることもできない。
ちなみに、Unidentified Flying Object でおなじみのUFOは、
何億光年も飛んでくる訳ではなくて、
同時刻に座標を再設定するだけだそうです。
要は、座標という世界から隔離した【ある特異な次元】にいったん置いて、
行きたい場所の座標をセットするだけ。
言うだけならウルトラ簡単な作業だけれど、
そのうちに方法が明らかになると思う。
話は戻って、、、
地球科学の発達は距離の短縮と行っても過言ではなくて、
人類は距離を縮めるための膨大な努力をして来た。
航空機や新幹線や、車。
からだを持っていかなくても良い、通信技術、インターネット。
これだって距離を縮める事になる。
時間は淡々と加算されるものだから(と信じて疑わないだけ)
距離を縮める事で、時間を節約できる。
座標間を高速移動できれば便利だしね。
技術が進歩して座標間の距離が柔軟になっても、
座標と時刻のどちらかに矛盾が出ると、上司に対する言い訳がばれるし、
奥さんに浮気がばれたりする。
もちろん悪い事した場合のアリバイも崩れる。
ところで、夢の中では、色々なところに行ったり、
あるとき、自分の部屋の隣にがパリだったり、
かと思えば、その隣が急に東京の会社だったり。
時間もどのくらい経っているのか良くわからない。
現実が幻影で、イマジネーションが本来の物理次元の姿だと考えても良いし、
夢は体験記憶を引き出しにしまう生理現象の産物という考え方もある。
夢の中では、時間と座標の法則が緩やかだから、
目覚める一瞬前の5秒間に2週間の長編を体験しても良いし、
隣の部屋がNYになったり、他の星になっても構わない。
もちろん、僕のためだけに北川景子がキッチンで夕食を作っていても
何ら問題ない。
それにしても何故夢の中でさえ、重力やら慣性やら、
時間の感覚、女性の好みが一緒なのかというと、
基本的に見た事のないものは見えないし、
固く信じている観念は夢の世界へも、そのまんま継承しちゃう。
見た事のないものを見る方法は別に用意されていて、
それは地球というフィールドで、
集中して頭からひねり出すという手法。
中年以上になってくると(さいきんは小学生も言うかな)
1年が過ぎるのが早くなった、、、とか言うけれど、
実際、そんなことは起きていません。
歳をとって相対的に感じることはあるでしょうが。
そういう場合は、心理カウンセリングで何に恐怖を持っているのか、
突き止めて理解すれば、時間の流れは正常になります。
(というか常に相対的です)
また、新しい楽器とか、かなり負荷のかかる趣味にチャレンジしたら、
そんな言葉口にしなくなって、
逆に時間が足りないと言い出すのだと思う。
もちろんあっという間に1年が過ぎるのは同じかもしれないけれど、
後悔の念が入っていない【1年過ぎるのが早かった】になる。
昼と夜、体内時計、お腹が空くとか、
そういう事の経過感覚以外の【時間】は人間が作り出したツール。
ツールは圧倒的に便利だけれど、退屈すると時間が長く感じられて、
長く感じた分、細胞の老化は進んでしまう。
好きな女の子と話している時、好きな事をしている時、
時間は圧倒的に短く感じられて、
短く感じた分(実際は2時間なのに、5分に感じた!)
その感覚の経過でしか細胞は老化しない。
とっても簡単な相対性理論。
きっとみんな分かってるはずなのに、
我慢して老化して、その余白で、すこしの趣味を見つけてリフレッシュ。
それじゃあ、差し引き追いつかないよね。
と、いろいろ時間とモノの考え方についてあれやこれやを書いたけれど、
意固地で頑固で物理次元の時系列こそが、ある意味人生なんだよね。
感情は時系列で体験を加えていかないと、存在しないもの。
小説を読む時に苛つく前半あってこそ、後半の展開に胸躍るのだし。
でもでも、【時系列】の良さと【時間は幻影】の両方知っていると、
たいがいの事には驚かなくなる。
それに、、世界は何倍にも楽しく見えたりするし。
感情はEmotionと書く。
Energy-Motionというのが語源だと聞いた事があるけれど、
Motion(動く)となれば、物理次元のお約束w。
感情の出現理由を理解して受け入れられないと、
物理次元でのエナジーに押しつぶされる事になる。
まあ、それもレッスンだけれど。